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人間国宝二人が出演した「文楽 夏祭浪花鑑」
2018年09月14日
昨日、4時間半もの上演という、11年ぶりの本格公演の文楽を観てきた。終わったのは8時半過ぎ。余りに感動したせいか、胸いっぱいで、しかも舞台の人形と、目の前の三味線や語りを交互に観たせいで、首がひどく痛かった。
前から4列目の三味線が間近な席で、太夫の語りも、三味線の糸のこすれる音さえ、ハッキリと聴くことができた。何より、楽しみにしていた人間国宝の鶴澤清治の華奢な手を間近に観ることもできた。余りに清治が年を取っていて、するどかった清治がおじいさんになっていて、びっくりしてしまった。「お、お、」と調子を取りながら、華奢な手先が三味線の糸の上を踊っていた。
今回もうひとり人形のかしらを繰る人間国宝の吉田蓑助も観ることができた。国立小劇場が満席だったのもうなづける。二人の人間国宝を観ることができるなんて、早々ある機会ではない。
蓑助の繰る、徳兵衛の女房お辰もしっかりと見届けてきた。お辰の、帯から肩にかけての前かがみの凛とした肢体や、身体がしなりながら、面(おもて)が揺れる様は、生きている女性よりも何倍もなまめかしかった。わたしが人形浄瑠璃・文楽に魅せられて、通うようになってしまったのも、この女性たちの美しくもあり、妖艶な、このしぐさに悩殺されてしまったからなのだ。
毎回、文楽を観るたび、日本女性ならではの、このしぐさに、たまらなく魅了されてしまう。
今回、蓑助が徳兵衛の女房お辰を繰ると配役表を見て、なぜ主役級ではないのかなと疑問に思っていたが、舞台を見ていて、すぐに納得した。下の段から上の段に上がる時、蓑助は黒子の手に引っ張られて、ようやく上っていた。人形遣いは、3人でひとつの人形を扱うのだが、主遣い(おもづかい)は足遣いの黒子が人形の足を繰りやすいように、20~50cm近い舞台下駄を履いている。
85歳を超えた蓑助にとって、人形を繰りながら、舞台下駄で段を上がるのはさぞや大変なことだったろう。一度、舞台の部屋の中に入ったお辰が出てきた時、もうお辰を繰っているのは蓑助ではなく、黒子だった。蓑助の精いっぱいの主(おも)使いを短い時間でも観ることができて、満足だった。
鶴澤清治の弟子、清介も好きな三味線弾きだ。
今回、出てきた清介も去年か、おととし、見たばかりだったのに、すっかり年を取っていた。以前はまるで打楽器か、と言いたくなるほどの鋭い撥さばきで三味線を弾いて、三味線の糸を切って、唖然としたが、今回の清介は、大分丸くなっていた。
人形遣いの中でも、勘十郎は好きな人形遣いだ。今回は主役の団七九郎兵衛を力強く繰っていた。心なしか、勘十郎の繰る九郎兵衛が一回りも大きく見えたのは、やはり勘十郎の芸ゆえなのだろう。
ところで、今回の公演で、一番光っていたのは、語りの竹本織太夫だった。文楽なのに、人形が舞台になくても、織太夫の語りだけで、状況がわかってしまうほど、語りが半端じゃなく素晴らしかった。声良し、迫力良し、そして、微妙な口調よしの全てが整っていた。何より、油がのって、一番輝きのある年齢のせいもあるだろう。
織太夫は、もともと文楽界の名門生まれで、素質のある人。今後の活躍を見守っていきたいなと思っている。そういえば、文楽では、力ある若手たちがどんどんと育っていて、頼もしいなと思っている。
前から4列目の三味線が間近な席で、太夫の語りも、三味線の糸のこすれる音さえ、ハッキリと聴くことができた。何より、楽しみにしていた人間国宝の鶴澤清治の華奢な手を間近に観ることもできた。余りに清治が年を取っていて、するどかった清治がおじいさんになっていて、びっくりしてしまった。「お、お、」と調子を取りながら、華奢な手先が三味線の糸の上を踊っていた。
今回もうひとり人形のかしらを繰る人間国宝の吉田蓑助も観ることができた。国立小劇場が満席だったのもうなづける。二人の人間国宝を観ることができるなんて、早々ある機会ではない。
蓑助の繰る、徳兵衛の女房お辰もしっかりと見届けてきた。お辰の、帯から肩にかけての前かがみの凛とした肢体や、身体がしなりながら、面(おもて)が揺れる様は、生きている女性よりも何倍もなまめかしかった。わたしが人形浄瑠璃・文楽に魅せられて、通うようになってしまったのも、この女性たちの美しくもあり、妖艶な、このしぐさに悩殺されてしまったからなのだ。
毎回、文楽を観るたび、日本女性ならではの、このしぐさに、たまらなく魅了されてしまう。
今回、蓑助が徳兵衛の女房お辰を繰ると配役表を見て、なぜ主役級ではないのかなと疑問に思っていたが、舞台を見ていて、すぐに納得した。下の段から上の段に上がる時、蓑助は黒子の手に引っ張られて、ようやく上っていた。人形遣いは、3人でひとつの人形を扱うのだが、主遣い(おもづかい)は足遣いの黒子が人形の足を繰りやすいように、20~50cm近い舞台下駄を履いている。
85歳を超えた蓑助にとって、人形を繰りながら、舞台下駄で段を上がるのはさぞや大変なことだったろう。一度、舞台の部屋の中に入ったお辰が出てきた時、もうお辰を繰っているのは蓑助ではなく、黒子だった。蓑助の精いっぱいの主(おも)使いを短い時間でも観ることができて、満足だった。
鶴澤清治の弟子、清介も好きな三味線弾きだ。
今回、出てきた清介も去年か、おととし、見たばかりだったのに、すっかり年を取っていた。以前はまるで打楽器か、と言いたくなるほどの鋭い撥さばきで三味線を弾いて、三味線の糸を切って、唖然としたが、今回の清介は、大分丸くなっていた。
人形遣いの中でも、勘十郎は好きな人形遣いだ。今回は主役の団七九郎兵衛を力強く繰っていた。心なしか、勘十郎の繰る九郎兵衛が一回りも大きく見えたのは、やはり勘十郎の芸ゆえなのだろう。
ところで、今回の公演で、一番光っていたのは、語りの竹本織太夫だった。文楽なのに、人形が舞台になくても、織太夫の語りだけで、状況がわかってしまうほど、語りが半端じゃなく素晴らしかった。声良し、迫力良し、そして、微妙な口調よしの全てが整っていた。何より、油がのって、一番輝きのある年齢のせいもあるだろう。
織太夫は、もともと文楽界の名門生まれで、素質のある人。今後の活躍を見守っていきたいなと思っている。そういえば、文楽では、力ある若手たちがどんどんと育っていて、頼もしいなと思っている。
Posted by kamome at 12:11│Comments(0)